FS_063_文知摺観音

かつてこの地では、石を利用して風雅な模様に染めた「しのぶもぢずり絹」が作られていました。平安時代には、河原左大臣(源融) が「みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」と和歌に詠み、今でも「都から来た源融とこの地に住んでいた娘・虎女の悲恋物語」が伝っています。歌枕として広く知られており、松尾芭蕉や正岡子規など、多くの文人も訪れました。