FS-053 義経ゆかりの医王寺
福島市飯坂町の瑠璃光山・医王寺は真言宗の寺院で、奥州平泉の藤原氏に仕え大鳥城主であった佐藤基治一族の菩提寺です。
基治の子、継信は四国屋島の合戦で、また忠信は京都六条堀川で、義経の身代わりとなり壮絶な最期を遂げました。戦いで二人の息子を失い悲しみにくれる老母のために嫁達(若桜と楓)が武将の姿をして慰めたという孝行話が残っています。継信・忠信の死を心から悼んだ義経は、兄頼朝に追われて弁慶らとともに奥州平泉に逃れる途中、医王寺を訪れ2人の遺髪を葬り、その霊を弔いました。
1689年、「奥の細道」の旅に出た松尾芭蕉は旧暦の5月にここ医王寺を訊ね、「笈も太刀も 五月に飾れ 紙幟」(寺宝である弁慶の笈も、義経の太刀も出して、紙幟とともに飾ろうではないか)の句を詠みました。
その笈は、現在もこの寺の宝物殿に安置されています。